TallBoy History


TBの歴史(小話風)
(購入から宮川フィッシャリーナに収まるまで)





●ディンギーの時代

 10代の頃から、いつかは何らかの方法で海と関わりたいと思っていた。そんなあるとき、モーターボートを所有している友人から、「一緒にレンタル・ディンギーのクラブに入らないか?」と誘われた。この一言が全てのはじまりだった。
 思い立ったらすぐに行動する性格なので、そんな話があった翌週、ボクは友人を差し置いて、葉山マリーナのレンタル・ディンギー・クラブに入会していた。


 初めてディンギーに乗る人は、まずインストラクターに同乗してもらい、ヨットの操作法を学ばなければならない。ボクが初めて乗ったのは、青いハルのY15だった。インストラクターは真っ黒に日焼けしたカッコイイ女子学連セーラー。最初は“あ、いいかも!”と思ったのも束の間、彼女は厳しい口調でビシビシと初心者を叱り飛ばすのだった。しかも、いざ記念すべき“初チン”の瞬間には、ずぶ濡れになったボクを尻目に、自分はガンネルの上で絶妙にバランスを保って立っており、一滴も濡れていなかったりして……。


 ひとりで乗れるようになってからは、週に3日くらい海に通う日もあった。晴れの日も雨の日も、強風でも凪でも、シーホッパーに乗って、ひとり海原に出る。ただそれだけで楽しかった時代。言い出しっぺの友人は結局、考えが変わってしまったようで(笑)、クラブに入会することはなかった。ボクはレンタルの予約が取りやすい平日の午前中に通っていたこともあって、特に友人もなく、スループ艇に乗る際には、後にTBを共同所有することになる村田を誘っていた。このディンギー時代はTBを購入した時期と1年ほどオーバーラップして、都合3年くらい続いた。




●いざセーリングクルーザーへ。

 きっかけとなったのは、またしても例の友人だった。「最近、ヨットを買いたくてさがしているんだ。良かったら一緒に見に行かないか?」と誘われ、向かった先は横須賀の平作川だった。河口近くの橋の上から上流を眺めると、そこには入る隙間がないほどのプレジャーボートの列があった。売り物は確かYAMAHAの25MkUだったと思う。友人は非常に慎重な性格なので、まず置場が川という時点で心配事が多く、腰が引けていたが、それとは対照的にボクは興奮していた。思っていたよりもはるかに安い価格でセーリングクルーザーが手に入る。しかもそのまま川に置けば係留費用はタダだ!。


 再び、ボクは素早く行動に移った。


 まず、共同オーナーとして村田に声を掛け、ヨット屋さんであるスループジョンBに条件を伝えたのである。それからというもの、ベイサイドにマイレディの出物があるといえば出向き、佐島港に怪しい係留権の出物があるといえばすぐに見に行って検討し、といった日々が続いた。


 それから半月ほど経ったある日、我々が期待する手ごろな大きさのヨットが出てきた。1987年式のヤマハ23。「平作川の、久里浜駅から上流に行ったところに係留されています」という電話があったその夜、ボクは月明かりの下で、未来の愛艇のデッキ上にいた。


 Y23は12年落ちの中古艇だったが、この程度の船齢は特に問題ではない。海に出るためにはマストを起倒する必要があったが、それと引き換えに置場代はタダである。この時Y23には横抱きするようにモーターボートが係留していたが、これも後でどけてくれるという(が、結局どけてくれず、出入艇のたびに苦労させられることになる。なんかさっきから口先だけの人が多いなぁ?)。興奮の頂点に達していた我々に、迷う理由など見つからなかった。




●トールボーイと命名

 だが、いざヨットを購入したものの、我々には船舶免許がなかった!「えぇっ、免許ないんすか?」と業者の方が驚いていたことは無理もない。結局、我々の初セーリングは彼に同乗してもらうことで、辛うじて実現したのである。が、それがどんな日で、どんなセーリングだったのかはまったくもって記憶がない。。つまり印象的なものではなかった、ということ。


 我々はこのヤマハ23にTallBoy(トールボーイ)と名付けることにした。
180センチ以上の長身のオーナーふたり、そして子供っぽいとか、いつまでも少年の心を忘れずに、といった意味も込められている。


 その後TBは洋上ならぬ河上の隠れ家として活躍することになった。免許を取りに行く暇も金もない。でも、たまにドブ川の上で船内泊してみたり。。そんな状態が、実に18ケ月も続いた。こんな状態に嫌気がさしたボクは、1999年10月15日、塩釜に出向き、合宿免許教室にて4級の小型船舶免許を取得した。





●マスト起倒と挫折の日々

 いざ、自分で操船できるようになると、次なる悩みはマストの起倒だった。我々の出航の手順は以下の通り。


@鉄製のマスト受けを、スターンに装着する。
A起倒専用のテークルを取り付ける。
B
フォア・ステーとブームを外す。
C覚悟を決め、全身の力を振り絞ってマストを倒す。
Dエンジンをかけ、河を下る(15分)。
E河口の防波堤に舫って、覚悟を決め、全身の力を振り絞ってマストを起こす。
Fフォア・ステーとブームを装着する。
Gセイルを出してセットする。


 これが終わって(その後コンビニに行ったりガソリンスタンドに寄ったりすると、ここまででゆうに1時間くらいかかる)ようやく出航!となったら風が吹き上がってきてしまったり、なんてこともしょっちゅう。


 しかも、購入したときに付いていたヤマハ製2ストローク船外機は所々塩で腐食しており、見るからに頼りなさそう。エンジンも掛かってくれれば御の字。沖から帰る際に延々掛からない〜なんて日もあった。なのに当時は無保険で、BANの存在も知らなかった。知らないっていいな、とつくづく思う。


 そこで、ついに大枚はたいて購入したのがHONDA4ストローク船外機だった。ボクはこの大物を、シートで自分の背に縛り付け“落ちたら決死”の覚悟で護岸のハシゴを降りた。銀色に輝く本田君は、それから保証が切れるちょうど1年目までいい仕事をしてくれた。
 ところがその直後、初めての船底塗装を行うため、マリンポートコーチヤに向かう際、本田君は平作川を下る途中でシュワッと軽く煙を上げてストールしてしまったのだった。原因は冷却水経路の塩詰まりによるオーバーヒートでピストン焼きつき!(4ストは多いらしい!)って、そんなバカな。


●初めてレースにも出場

 船底塗装とエンジン修理のために上架してみると、キールはカラス貝の塊のような状態。結局ドラム缶が一杯になるほどのカラス貝を足で蹴って落とし、TBは3〜4年ぶりにキレイな船底に生まれ変わった。


 こうなると、レースのひとつもやってみたくもなるというもの。幸い、船底塗装をお願いしたマリンポートコートヤでは毎月のようにクラブ・レースを行っており、外来艇の参加も可能だと言う。さっそく我々は黒船ヨット倶楽部のレースにエントリーした。ボクは根っからのレース好きだし、村田も、かつて逗子でヨット・レースを少しかじっていたから決断は早かった。
 レースに出る際の3人目のクルーは会社の同僚である菊地。おもにこの3名で、現時点(2005年2月)までにTBがこなしたレースは22戦ほど。その顛末はTallBoy Racingに掲載している。結果はどうあれ、記録に残しておくのは良いことだと、つくづく思っている。





ついに憧れのマリーナへ
 
 骨の折れるマスト起倒に疲れ果て、幾度かベイサイドマリーナに置けないだろうか? などと思ってはみたものの、年間44万円はどうにも手が出ない。その他に保証金だとかなんとか色々と付いてくるのだから手におえない。
 

 そんなこんなで、どうにも活動が停滞していたあるとき、舵誌の2001年9月号をぼんやりと眺めていると、巻末のニュース欄に「みうら宮川フィッシャリーナ」保管艇募集の告知を発見。金銭的にはどーにも辛いけれど、ボクらは即決した。美しい宮川湾のポンツーンにフネを舫える。これがどれだけ大きなチャンスなのかはよくわかっていた

 

 右の写真は引越し当日のもの。2001年10月1日から運び入れが可能になったMMF。我々が引っ越したのは10月の3日。こうしてTBはMMFにやってきた3番目の艇になった。3番目! これは密かな自慢だ。
 MMFは、募集開始当初はまるで応募が来なかったらしいが、現在ではなんと100艇待ち、という情報があるほど。ボクらはつくづくラッキーだったのである。

 これ以降のことは、ダイアリーに書いてある通り。
 






ファーイースト長浜にて、友人の所有するシーラークをメンテし、悦に入る吉田と村田。







購入直後の船上生活(?)。帆走できなくても、ヨットオーナーであるというだけで楽しかった頃。







川面に佇むTB。ようやく昔のダサいステッカー類を剥がし終えた頃。まだ船外機はヤマハだ。







TallBoyと命名。ステッカーは3Mのスコッチカルを用意。これを機械で切り出した。







塩詰まりすること2度。まったくいいところなく、金ばっかりかかったホンダ君。2006年にヤmハの2ストを手にいれ、お役ごめん。







初めての上架。船底塗装が終わった日、コーチヤにて船内のクッションを干しています。







ヨット乗りはクルージング派とレース派に大別できるが、TBはその両方に当てはまる。








さらば平作、さらばマスト起倒、さらば久里浜湾、海驢島。我らは、いざ宮川湾へ。







はじめて入港した宮川湾。すでにヨットとモーターボートが1杯づつ到着していた。







さっそくフネの長さを計測してもらう。新しいウド・デッキが大自然とよく馴染む。







ついにC桟橋62番に収まったTB。2001年10月3日、よく晴れた、暖かい日だった。









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